佐賀地方裁判所 昭和43年(ワ)280号 判決 1972年7月28日
原告 寺中順一
<ほか二名>
以上原告三名訴訟代理人弁護士 石動丸源六
被告 A
<ほか六名>
以上被告七名訴訟代理人弁護士 吉浦大蔵
主文
一、被告A、B、C、D、E、Fは原告寺中順一に対し、各自金六三万四、八六二円及びこれに対する昭和四三年九月二日から右完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。
二、原告寺中順一の右被告らに対するその余の請求及び被告佐賀県に対する請求並びに原告寺中直及び同寺中三枝子の各請求は、いずれもこれを棄却する。
三、訴訟費用中、原告寺中順一と被告佐賀県を除くその余の被告との間に生じた分はこれを五分し、その一を被告らの連帯負担とし、その余を右原告の負担とし、原告寺中順一と被告佐賀県との間に生じた分並びに原告寺中直及び同寺中三枝子と被告らとの間に生じた分は、同原告らの連帯負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
(原告ら)
一、被告らは各自、原告順一に対し金三三七万三、五七〇円、原告直、同三枝子に対し各金五〇万円、及び右それぞれに対する昭和四三年九月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
(被告ら)
一、原告らの請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告らの負担とする。
第二原告らの請求原因
一、原告順一は、原告直、同三枝子の長男であり、昭和四二年三月大和中学を終えて同年四月佐賀県立小城高等学校に入学した。
二、原告順一は小城高校に入学後、身体鍛練のために体育クラブの柔道部に入ったが、自由の束縛が厳しく制裁が酷であったので、登校すら渋るに至った。
そこで原告直、同三枝子は心配して担任の森永教諭にこの旨を伝えて、手荒な制裁のないよう申出ていたが、原告順一が依然として制裁をおそれて柔道部をやめたいとのことであったので、四二年九月八日原告直、同三枝子は森永教諭を通じこの旨を柔道部顧問の牧教諭に届出たところ、牧教諭より許可の通知が来たので、原告順一は非常に喜びかつ安堵した。
三、翌九月九日午後一時頃授業を終えた原告順一は森永教諭に職員室に呼ばれ、「柔道をやめるなら帰ってよい。」旨の許可があったので、帰宅すべく自転車置場に行ったところ、待伏せしていた被告Eが原告順一を捕え、更に被告Dも来て強引に柔道場に連行された。
しかして柔道場において、いずれも柔道部員である右被告E及び同D並びに居合わせた被告A、同B、同C及び同Fは共同して、原告順一に対し殴る蹴る等の暴行を加え、更に鉄棒(バーベルの芯棒)を敷いてこの上に正座させ、なおこれではきかぬとあって脚に鉄棒をはさんで正座させ、その間前同様の暴行を加え、このようなことが三時間にも及んだため、原告順一は遂に気絶するに至った。
原告順一がいったん正気に返ったときは午後四時頃で、患部を氷で冷やされていたが、その後再び気絶し、次に正気を取戻したときにはすでに戸外は薄暗くなっていたが、そのまま柔道場に寝かされており、ようやく午後八時頃牧教諭らにより自動車で自宅まで送り届けられた。
この間学校当局は、前記被告ら六名の暴行を制止もせず、また原告順一が重症にもかかわらず、両親である原告直、同三枝子に連絡をせず、校医の平松医師をして診察治療させたのみで、日の沈む時刻を見計って自動車で送り届けたものである。
原告宅では徹夜で原告順一を看護したが、原告順一は終夜肉体の痛みに苦しんだ。原告直、同三枝子もその様を見て苦痛に泣いた。
四、その後原告順一は国立佐賀病院に入院治療を受け、九月一八日退院後は通院治療を続けたが、依然として苦痛は去らないので、久留米医大や基山町の高尾病院で診断を受けたところ、いずれも頭部外傷後遺症とのことで、過度の勉学や運動は禁止され、現在においても、起きる時に苦痛があり、足がしびれ、鼻血が出たりして、勉学も運動も従前のようには出来ない状態である。
五、被告らの責任原因
(一) 原告順一の本件受傷は、前記のとおり被告ら六名の集団暴力行為によるものであるから、右被告らは共同不法行為者として各自原告らが蒙った後記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 次に被告佐賀県は、国家賠償法第一条又は民法第七一五条により原告らに対し損害賠償義務を負うものである。
すなわち、被告佐賀県は小城高校の設置者であって、森永教諭は学級担任、牧教諭は柔道部指導責任者として常に生徒の動向に注意を払い、本件のような不祥事件を防止すべき職務上の注意義務があるものというべきである。殊に原告直、同三枝子は、原告順一が柔道部の制裁の厳しさと練習の疲労に堪えかねて苦しんでいるのを憂慮し、二度、三度同教諭らに折衝し、最後に原告順一が退部を熱望していることを知るや、同教諭らに退部の承認を得る措置をとったのである。このことは、原告らがいかに退部による集団暴行を恐れていたかを明らかに示すものであり、かつ、一般に大学高校において、運動部の部員が練習を怠けた場合や、退部等の場合には、集団暴行が行われている事実に思いを致すとき、同教諭らとしてはかかることのないよう事前に特段の措置を講ずべき注意義務があるのに、これを怠り遂に本件を惹起したものである。また本件は学校施設である柔道場で白昼公然と、しかも三時間にもわたって行われた集団暴行事件であるところ、校長以下諸教諭において校内巡視をする等営造物管理に充分の注意を払えば防止できた筈のものといわねばならない。
以上のとおりで本件は正に国家賠償法第一条にいわゆる公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて過失があり、これにより原告らに後記損害を与えたものというべく、被告佐賀県はこれが賠償の責に任ずるものといわなければならない。
仮にそうでないとしても、被告佐賀県は使用者として民法第七一五条による損害賠償責任を免れないものである。
六、原告らの蒙った損害
(一) 原告順一の損害
1 治療費 七万三、五七〇円
2 慰藉料 三三〇万円
原告順一は元来頑健な体質を有し、中学時代成績も良好で、将来は商船大学への進学を目標とし、高等船員になるべく努力していたのに、本件集団的暴力行為による受傷により、小城高校に在学することさえ不能となり、もちろん商船大学への希望も捨てて、昭和四三年三月安易な私立高校に再入学することを余儀なくされ、瞬時にして青春の希望と期待を失うに至った。この精神的苦痛は三〇〇万円の支払をもってしても償いえないものがある。
また、原告順一が本件受傷後約一年間に味わった肉体的精神的苦痛は甚大であり、更にこの傷害が被告ら六名の集団的暴力行為によるものであり、しかも右被告らは平然として在学をつづけ、その後進学・就職したのに反し、原告順一は社会の落伍者となり終えた精神的苦痛は、三〇万円をもっても償いえないものである。
よって本訴においては、一応三三〇万円を慰藉料として請求する。
(二) 原告直、同三枝子の損害
慰藉料 各金五〇万円
右原告らは、長男である原告順一が小城高校を終えて商船大学に進み、高等船員となることを夢見ていたのに、これが一朝にして消え去り、将来の悲惨な姿を思う時、親としての苦衷は言語に絶するものがある。また原告順一が柔道場において長時間にわたる暴行を受けたときの状況、その後今日まで負傷の治療をつづけており、完全治癒も不明であること等を考えると、親子の情としての苦痛は絶大なものがある。そこで右原告らは、この精神的苦痛に対する慰藉料として、それぞれ金五〇万円の支払を求めるものである。
七、よって原告らは被告ら各自に対し、原告順一は金三三七万三、五七〇円、原告直、同三枝子は各金五〇万円、及び右各金員に対する本件訴状送達後である昭和四三年九月二日以降完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。
第三被告らの答弁及び主張
一、請求原因に対する答弁
(一) 第一項は認める。
(二) 第二項中、原告順一が小城高校に入学後柔道部に入ったこと、九月八日原告三枝子が森永教諭を通じて原告順一の退部を申出て、牧教諭がこれを了承したこと(但し、被告佐賀県を除く被告ら六名はこの点について不知)は認める。柔道部において自由の束縛が厳しく、制裁が酷であったとの点及び原告直、同三枝子が森永教諭に手荒な制裁がないように申出ていたとの点は否認する。その余の事実は不知である。
(三) 第三項中、被告ら六名が原告順一に対し暴行を加えたことは認めるが、その程度及び状況については争う。同被告らが本件のような行動に出たのは原告順一が再三の注意にも拘らず練習を怠けるので、その怠慢を戒め緊張感を与えたいという動機からで少なくとも動機に責めらるべき点はない。
(四) 第四項中、原告順一が国立佐賀病院に入院治療し、九月一八日退院したことは認めるが、その余は不知である。
(五) 第五項は争う。但し、小城高校が被告佐賀県の設置した高校であることは認める。
(六) 第六項は争う。
二、被告佐賀県の責任について
(一) 学校教育の本質は、学校という営造物によってなされる国民の教化、育成であって、それが国又は公共団体によって施行される場合でも、国民ないし住民を支配する権力の行使を本質とするものではない。このことは学校を設置することができるものが、国又は地方公共団体だけに止まらず、私立学校の設置を目的として設立された法人をも含む(教育基本法第六条、学校教育法第三条)ことから考えても明らかである。従って、学校教育は国又は公共団体によってなされてもいわゆる非権力作用に属するものであり、学校教育に従事する公務員は国家賠償法第一条にいう公権力の行使に当る公務員ではないから、同法に基く原告らの被告佐賀県に対する損害賠償請求はすでにこの点において理由がない。
(二) 民法第七一五条第一項にもとづき使用者が被用者の行為につきその責任を負うためには、その前提として右被用者の行為が不法行為としての一般要件を具備している必要があるところ、本件において直接柔道部の指導監督の任にあった牧教諭その他の教員らに注意義務懈怠としての過失があったことは認められない。
すなわち、小城高校の柔道部は、当時部員二〇名余りで、その練習は通常月曜日から金曜日までは午後四時三〇分頃から約一時間三〇分ぐらい、土曜日は午後一時三〇分頃から午後三時ぐらいまで行っていたものであり特別教育活動としてのクラブ活動の性格上、生徒が自発的にやるのが趣旨になっており、練習ないし規律が特に厳しいということはなかった。クラブ活動特に運動部については、上級生の制裁等いきすぎた行動が世上うわさになることがあるが、この点については小城高校の当局は常に注意を払っていたものであり、遠い過去はともかく事件の発生した前後の数年間、クラブ活動あるいは柔道部において暴力事件が起っていたという事実はなかったのである。また牧教諭は原告順一の指導については、原告三枝子の依頼もあって特に意を払っていたのである。
このような状況の中において、柔道部の生徒が原告順一に暴力をふるうということは全く予見されないことであった。更にこの事件の発生したのは土曜日の午後一時頃であり、牧教諭は生活指導委員会に出席しており、本件の発生を関知することは全く不可能な状態にあった(牧教諭の当日の勤務時間は午前八時二〇分から午後〇時四五分までであった)。このように本件は学校当局あるいは直接柔道部の指導の任にある牧教諭の注意義務懈怠によって発生したものではないから、同教諭らに不法行為の成立を認めることはできず、従って原告らの民法第七一五条にもとづく請求も理由がない。
(三) 仮に牧教諭について過失を認めることができるとしても、同教諭は昭和三六年三月駒沢大学を卒業し、教育職員の社会科の免許を有し、同年度の佐賀県教員採用試験に合格し、ただちに小城高校の教諭に任命されたもので、高等学校の教師にふさわしい科学的教養を身につけているものである。また校長が牧教諭を柔道部の指導にあたる顧問に命じたのは、同教諭は性格が実直で年令も若く柔道五段であり、かつ従来から適切な指導を行って来ているため、もっとも適任者であると判断したからである。更に校長は生徒の指導、特にクラブ活動における生徒の暴力事件について意を用い、クラブ顧問にもその旨を注意しており、一方佐賀県教育委員会においても、毎年適時に生徒指導について各県立高校に通達しているところである。
このように使用者側としては、被用者の選任及び事業の監督につき相当の注意をなしているものであって、原告らの主張は失当である。
三、原告直、同三枝子の慰藉料請求について
第三者の不法行為によって身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解されるところ、本件において原告順一の負傷により原告直、同三枝子が右程度の精神的苦痛を受けたものとは認め難く、従って原告直、同三枝子の本訴請求は理由がない。
第四立証≪省略≫
理由
一、本件暴力事件の発生
昭和四二年四月小城高校入学後、原告順一が同校体育クラブの柔道部に入部したこと、同年九月九日柔道部員である被告ら六名が原告順一に対し暴行を加えたことは、当事者間に争いがない。
≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができ、この認定を妨げる証拠は存在しない。
(一) 原告順一は一学期の終り頃から次第に柔道の練習を休むようになったが、練習を休むと上級生から道場に正坐させられたり、柔道着の洗濯をさせられたりすることがあり、八月三日頃たまたま練習を休んで川上川の河原で遊んでいたところを練習を終って水泳に来ていた部員にみつかって怠慢をなじられた上被告Fから一発殴られたことなどのためますます柔道部を嫌うようになって暑中休暇中も行われた練習をほとんど休み、たまたま練習に出た際被告Dから「あまり休むと殴る。」とほのめかされたりするに及んで制裁をおそれるようになり、二学期が始まってからは放課後部員にみつかることをおそれて無届早退や欠席をするようになったこと、
(二) 一方被告らは熱心な部員であり、特に被告Dは部長、被告Eは副部長という地位にあったこと、原告順一が練習を休むのを始めは電話でさそったり、同原告の近所に住む部員にさそわせたりして参加を促したが一向に効果がないばかりか、二学期に入ってからは部員を避けて逃げかくれするような状態になったため、憤慨して、この上は制裁を加えて反省させることもやむを得ないという気持になった者が多かったこと、
(三) 九月九日は土曜日で、放課後原告順一を探していた被告Eは午後一時頃自転車置場で原告順一を発見し、知らせを聞いて同所に来た被告Dとともに、「柔道部はやめる。用事があるから早く帰らねばならない。」という原告順一を強引に柔道場に連行し、板張りの床に坐らせたうえ、被告D、同Eにおいて原告順一の顔面を目がけて強く蹴り上げ、更に手拳をもってつづけざまに一〇回以上も強く殴りつけたため、原告順一は鼻血を出し、それが床に飛び散るに至った。そのあと右被告らは直径約四糎の鉄棒(バーベルの芯棒)を持って来て、これを原告順一の両脚に挾ませて正坐させ、更にこれでは効かないということで、鉄棒を床に置き、この上に正坐させたうえ、居合わせた被告B、同A並びに少し遅れて来た被告C、同Fらとともに、口々に、何故練習に来ないのか、何故柔道をやめるのか理由を言えなどと言いながらこもごも原告順一の頭部、顔面を殴打し、胸部、腹部を蹴り上げるなどの暴行を加えた(殊に被告Dは、手拳をもってつづけざまに強く殴りつけたため自分の右手親指の関節を痛め、柔道場入口の水道の水を出して一〇分間位い冷やしたが痛みがとまらず、被告Eから金を借りて附近の薬局から湿布薬を買って来て手当をし、そのあと更に原告順一の首のあたりを二、三回蹴りつけている)。
このような暴行が午後三時頃までつづいたため、原告順一の顔は腫れ上り、目は黒く血がにじんで、顔全体が変形してしまい、また原告順一がぐったりして手足のしびれを訴えるに至ったので、ようやく被告D、同E、同Fは暴行をやめ(その他の被告らは三時前に引揚げていた)、その場に原告順一を寝かせ、水や氷で顔・胸などを冷やすとともに、あわてて柔道部顧問の牧教諭や校医を呼ぶに至った。」
二、被告ら六名の責任
前記認定の事実によれば、被告ら六名は互に意思を通じて原告順一に対し暴力行為に及んだものであるから、右被告らは共同不法行為者として、連帯してこれにより生じた損害を賠償すべき義務があることは明らかである。
三、被告佐賀県の責任
(一) 小城高校は被告佐賀県が設置した高等学校であり、牧、森永両教諭が同校の教諭であったことは当事者間に争いがない。
(二) そこで国家賠償法第一条の要件である本件発生についての両教諭の過失の有無につき判断する。
≪証拠省略≫によれば、牧教諭は原告順一が属していたクラブ活動としての柔道部の指導教師であり、森永教諭は同原告の属していたホームルームの担任であったこと、クラブ活動及びホームルームは共に高等学校の教育課程中の特別教育活動に属し、前者は共通の興味をもつ生徒をもって組織されるもので、教師は生徒との接触をも密にすべきであるが、その自主性の伸長をはかるようにすることが目標とされ、後者は生徒の学校における基礎的な生活の場であって、教師は生徒との接触につとめ、ホームルーム内の諸問題の外クラブ活動等他の分野と関連する問題についても処理することが目標とされており、小城高校でもこの目標に副って教育が行われていることが認められる。
右事実を基礎にして考察すれば、クラブ活動の指導教諭はその所属生徒のクラブ活動に関連する生活関係につき、ホームルーム担任教諭はその所属する生徒の学校生活一般につき指導監督し、その安全の保護をはかる職責を有するものではあるが、しかしながら本件のようにクラブ活動に関連して発生し得べき集団暴行事件についてはその一切につき防止義務があるのではなく、学校教育殊にクラブ活動の特質や生徒の弁識能力等に鑑み、当該クラブないし当該学校のクラブ一般のふんいき、過去の同種事例の発生の有無その他特に事件の発生を予測させるような特段の徴表のない限り、これを予見できなかったことをもって注意義務の懈怠ということはできないものと解するのが相当である。
世上高等学校、大学においてクラブ活動に関連して暴力的制裁の行われる例の絶無ではないことは顕著な事実ではあるが、このような事実があるというだけで如何なる学校においても常に教師にこのような事態の発生を予測しこれを防止する義務があるものとするのは相当ではない。
(三) そこで本件についてこれを見れば、本件は客観的にみれば必ずしも偶発的な事件ということはできない。
しかしながら≪証拠省略≫を綜合して認められる、小城高校では過去少なくとも一〇数年間クラブ活動に関連して暴力的制裁事件はなかったこと、(昭和三六年頃発生した陣内某に対する暴力事件はクラブ活動に関連して発生したものとは認め難い)、被告ら柔道部員には粗暴と目されるような者はなく、本件事件となってあらわれた、同被告らの原告順一に対し制裁を加えても反省を求めようとの意図も部員同志が折りに触れ個々に話し合った程度のもので、牧教諭らに気取られるような言動は全くとらなかったこと、原告順一が右のような気配を感じ取ったのはさきに認定したとおり八月三日川上川で殴打されたり、被告Dから警告されたためであるが後記のとおり九月四日頃始めて原告直、三枝子にうちあけるまで全くこれを他人にもらしたりすることなくひとり悩んでいたにすぎないこと、等の事実関係からすれば、牧、森永両教諭にとって本件事件を予測し得べき前記のような特段の徴表は見出し難いところであって、両教諭が事件を予測できなかったとしてもこれを過失視することはできないところである。
(四) この点につき原告三枝子、同直は、八月初旬頃原告三枝子において原告順一を伴って柔道場を訪れ、牧教諭や一部の部員に会い、「今後順一を練習に出すようにするからよろしく指導を頼む。」と依頼した際制裁などのないようにしてもらいたいと特につけ加えた旨、九月四日原告順一が部員につかまってきびしい稽古をつけられ、帰宅後熱を出し、同原告が始めて制裁をおそれている事情をうちあけ退部したいとの希望をもらしたので相談の上その希望どおりにすることに決し、原告三枝子において九月八日森永教諭宛「退部したいから承認していただきたい。牧先生には順一を伴って自宅を訪問してお願いするつもりであるが、先生からもよろしく伝えていただきたい。」旨の手紙をしたためて原告順一に持たせ、この旨の連絡を受けた牧教諭から同日「退部の件は承認したから、わざわざ出向くには及ばない。」との電話連絡を受けた際、原告三枝子において退部に伴う制裁などの起らないようくれぐれも注意してもらいたいと特に懇請した旨供述するが、右供述中原告三枝子が制裁のないようにしてもらいたい旨懇請した部分は何れも充分信用することができない。
また原告順一の退部につき右のような手続をとったこと自体が事件の発生を予測させるに充分な徴表であるという原告らの主張もにわかに採用できないところである。
(五) なお原告らは本件事件が学校の構内である柔道場で三時間にもわたって行われたのに、これに気付かなかった校長ないし牧教諭らに学校管理上の過失がある旨主張するが、授業時間中生徒を長時間放置していたというのであればともかく、放課後校長その他の教諭が常に校内を巡視しなかったからといってこれを過失視することはできず、≪証拠省略≫によれば、当日の勤務時間は午後〇時四五分までであったことが認められることからすればなおさらのことである。
(六) 叙上のとおりであって校長その他の小城高校の教諭には本件事故の発生を防止しなかったことにつき格別過失を認めるに足りる証拠を見出し難いところであるから、被告佐賀県に国家賠償法第一条又は民法第七一五条による責任のある旨の原告らの主張は失当であることに帰する。
四、損害
≪証拠省略≫を綜合すると、原告順一は本件暴力事件によって頭部、顔面挫傷、脳震盪等の傷害を受け、その夜は原告直、同三枝子が寝ずに看護し、九月一一日から同月一八日まで国立佐賀病院に入院し、その後一〇月二日まで通院して治療したが、なお右上下肢のしびれ感が残り、たびたび鼻血を出したりするので、基山町の高尾病院、鳥栖市の三輪堂医院、久留米市の三橋病院で診察を受けたところ、頭部外傷後遺症と診断され、過度の勉学や運動を禁じられたので、事件以来引続き小城高校を休学して療養し、結局昭和四三年三月同校を退学して、同年四月私立佐賀中央工業高校に再入学するのやむなきに至り、大学進学も断念して、四六年三月同校卒業後は自衛隊に入隊することになったことが認められ(これに反する証拠はない)、これによる損害は次のとおりである。
(一) 原告順一の治療費
≪証拠省略≫によれば、原告順一は治療費として少くとも金三万四、八六二円を支出したことが認められる。
(二) 原告順一の慰藉料
本件暴力行為の態様(前記認定事実に徴すれば、退部に至る経緯については原告順一にも責められるべき事情があったことは充分認められるが、この点を考慮してもなお、本件暴力事件は高校生にあるまじききわめて残酷な私的制裁といわざるをえず、被告ら六名の行為は、動機が純真であるとか、正義感から出たものであるなどといって弁護できるものではない)、原告順一の受傷の部位、程度及び治療経過並びに県立高校を退学し、一年遅れて私立高校に転学することを余儀なくされた不利益その他本件に顕われた一切の事情を考慮すると、本件によって原告順一が蒙った精神的苦痛に対する慰藉料としては金六〇万円の支払をもってするのが相当と認められる。
(三) 原告直、同三枝子の慰藉料
第三者の不法行為によって身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解すべきところ(昭和四三年九月一九日最高裁判所第一小法廷判決、民集二二巻九号一九二三頁参照)、本件において、原告順一の前記受傷により、その両親である原告直、同三枝子が、悲嘆、心痛、忿懣、失望等々多大の精神的苦痛を味わったであろうことは察するに余りあるが、いまだもって前示基準に達する程の苦痛を受けたものとは認め難い。
従って、原告直、同三枝子の慰藉料請求権は認められないので、同原告らの本訴請求は棄却を免れない。
五、結論
よって原告らの本訴請求は、原告順一において被告A、B、C、D、E、Fに対し各自金六三万四、八六二円及びこれに対する訴状送達の翌日後であることの記録上明らかな昭和四三年九月二日から右完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容することとし、原告順一の右被告らに対するその余の請求及び被告佐賀県に対する請求並びに原告直、同三枝子の各請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 諸江田鶴雄 裁判官 土屋重雄 二神生成)